すみっこぐらしのアニメーターつぶやきblog

とあるアニメーターのぼやき。

アニメ業界の崩壊は止まらない。原画単価が安くなる意外な理由。片隅からのぼやき

前の記事でアニメの作画単価は《そもそも人に頼む値段ではない》という話をした。

今回はそれについて思い当たることを書いてみようと思う。

単価が安いと言われる原因は、煩雑すぎる作業に見合わない価格設定であるからなのは火を見るよりも明らかであるが、近年放送を落とす作品が続発し、それでも高クオリティ、ハイレベルな作品が供給され続けている。

おかしな話ではあるが、たった十数話のテレビシリーズを作る体制も満足に整っていないのに作画クオリティの競争はどんどん加速しているのである。

ある作品は原作側がアニメならではの省略を一切認めないという、無理解に近いポリシーで1話すら放送できるか怪しいところだったし、結果的にそれが裏目に出て放送は散々たる結果だった。

またある作品は原画に対しあらかじめ監督、演出はもちろん、作監総作監、キャラクターデザインと何重にも修正を載せることが決められていてなかなかの狂気で戦慄した。

さらに別の作品では細かいキャラクターに加え、パーツの多い武器をすべて作画せねばならず、そりゃ落とすわとしか言えなかった。

総作監がコンテから描き直してしまい今までの作業の意味は…?となるケースも。

 

ゲーム系やパチスロ系は言わずもがな。リテイクに次ぐリテイクでなかなか完成しない上に、アニメに興味のない層に向けておきながら要求されるクオリティは超一流。絶対に関わってはいけない。

 

昔のアニメ今よりずっとおおらかで、作監の個性が許され、線が少ないだけでなく手の流れで描ける作業のしやすいキャラクターデザインが主流だったと言われているが、その『昔』とは少なく見積もっても20年は前のことであり、仕上げ以降の工程がデジタル化してからというもの、効率化はおろかデジタルはなんでも出来る魔法という妄信によって作画マンの首は絞められていく一方である。

単価は倍以上にすべきとは思うが要求される内容を考えるとそれでもかなり安いところだ。

それどころか、多くの業界人の時間、認識が20年以上止まっているのだと考えるとなんて息苦しい世界なのかと恐ろしくなる。

 

単価そのものは『昔』から変わっていないと言われている。では何故アニメーターの貧困はとどまるところを知らないのだろうか。

もうお気づきの方も多いだろう…

 

単価を上げない業界だけでなく、予算相応の作品を作るという発想のないアニメーター自身にも原因があるのだ。

 

先にも述べたようにクオリティ合戦は加熱するばかりで、どうやら出来栄えに拘ればこだわるほど良いものが出来るという誤認識が広まっているように思える。バカなのかな。

細部まで描きこまれた、ディテールの細かいキャラクターデザイン。

実写のような背景、リアルを追求した画面構成。

絶対に似てなければならない、個性を許さない原画。

アクションや大人数描きこみばかり要求してくる脚本や絵コンテ。

枚数(予算)を節約するために1枚当たりの負担を増やす演出。

それらの要素が重なった作品は確実に重荷となり、レイアウトを提出するまでの時間や、チェックバックが返ってくるまでの時間がスケジュールを圧迫し、アニメーターの時給を安くする。

そこへ制作の毎日コンスタントに上がりがほしいとの一言、ベテランの決まった数が出せないなんて算数も出来ないのかという言葉が原画マンを追い詰めていきモチベーションが削られ上がりは出なくなる。負の連鎖が待っているわけだ。

2原まで自分でやるのが当たり前とのたまう作監もいるが、レイアウトの段階で赤字なのにその上原画までやるのは自殺行為に近い。精神衛生のためにも2原撒きという手段は乗るしかないし、そうやって今度は別の新人が不幸になり、離職率が上がる仕組みになっているのだ。

むしろ、最近のアニメはその重すぎる負担から「レイアウト+ラフのみ」という依頼が急増しており、また2原込みで請けたはずが途中で勝手にばら撒かれてしまうケースが相次いでいる。

 

原画単価はおよそ4000円、会社に引かれて3000円ほどだが、実はレイアウト+ラフと2原はそれぞれ別個にカウントされており、チェックバックがなければその月は半額しか稼げないようになっている。

これが2原専門の新人にいくらで撒かれるかを考えると…

本来はどこかでカロリーをセーブする役割が必要なのだが、それが機能するどころか加速に加速を重ねているのが現状なのである。

また、新人育成やベテランが数を上げて稼げるような、簡単な内容の作品がほとんどないのも深刻な状況に拍車をかけている。

「お値段以上」は美談になりやすく、拘って作ればそれだけで良いものに見えやすい。

そんな安易な功名心や若手の無意味な意識の高さが負の連鎖を生み出し、スケジュールを圧迫し、各セクションごとの信頼を成り立たなくし、ただでさえ深い溝を修復不能にしているのだ。

 

これはおそらく業界内では手の打ちようがなく、ユーザー様のお力を借りるほかあるまい。是非、アニメグッズを購入しアンケート葉書などを目にした時には素直な感想を書いて送っていただきたい。

 

この流れが続く限り、アニメの放送中止は増える一方になるだろう。

 

 

 

アニメ業界の崩壊は止まらない。片隅からのぼやき

「アニメ業界はもう、死んでいる。」

主にTwitter上で名のあるアニメーターがこぞって声を上げ、「クローズアップ現代」など各種メディアで取り上げられるようになり、こういう印象を持つアニメファンは増えたことだろう。

特に去年は放送を落とす作品が頻発したことでうっすらでも良くない状況が横たわっていることを察した人は多いはずだ。

Twitterでは現在も様々な意見が交わされているのを見るにつけ、自分でもひとつ言葉にしてみたく筆を執ることにした。

少々煽るような見苦しい口調になってしまうことを、お許しいただきたい。

 

まず、大前提として言いたいのは、

アニメの作画に関わる作業単価は《そもそも人に頼む値段ではない。》ということである。

 

大体の相場では、原画(カット)4000円、動画(枚)200円前後。といわれている。

平均的な能力のアニメーターなら一日8時間の作業、内容のバランスも取れたうえで月50カット、もしくは500枚くらいが若手としては妥当な数だろう。この時点で動画は生活など成り立たないことがお分かりいただけるだろうが。

しかし、この数字には語弊がある。

これはあくまで《元請けに所属》しているか、《完全フリー》状態の人間のみに対して支払われる額であり、下請けに席を借りている場合そこから家賃等が引かれ、アニメーターに渡るのは場合によっては原画3000円、動画120円を切るのだ。

ここで「そんな下請けにいる方が悪い。自己責任だ。」と言いたくなる人もいるだろう。下請けに所属するからにはそれなりの理由があり、元請けで稼げるような実力がないからだと思うかもしれない。

だが実際はその下請けこそが制作の大部分を担っており、能力的な面でも平均以上の人はたくさんいる。むしろ、能力があってもあえて下請けを選んでいる人もいるだろう。

また、元請けよりも入社のハードルが低い下請けから業界に入りキャリアアップしていく人の存在を考えると、新人育成の面でも業界への貢献度は高いはずだ。ネットを見る限りではその存在はほぼ無視されてしまっているが…

元請けか下請けかではアニメーターに優劣などつかない。

故に、本来単価とは平均的な能力を持った人間が所属にかかわらず必要最低限の暮らしが保証できる額でなければいけないのだ。

それには《最低でも》原画8000円、動画は800円はいるだろう。

それが払えないアニメはそもそも作るべきではない。

 

ここまで書くと必ずと言っていいほど、

「しかし貧困といわれるのは一部の新人で…」

「うちでは新人も固定給で…」

「一部には年収何百万と稼ぐ人も…」

「何年やっても稼げないのは向いてないからでしょ。」

「ならばアニメーター自身も作品が売れなかった時のリスクを負うべきではないのか?」

などという意見が出てくる。

 

うるせえバカ!

 

その稼げる、恵まれた一部の人間が全部作ってんのかよ。違うだろ。

 

繰り返すが、現在の単価設定は《そもそも人に頼む値段ではない。》

新人の生活を安定させなければ育成も何もないだろ。

毎日即日締め切りで糞みたいに重たい仕事が撒かれてきて、あほみたいに複雑な作画注意事項

(下請けの場合、各社ごとに微妙に違うローカルルールを覚えねばならず、ただでさえミスの多い時期により現場を圧迫することになる。)

を覚えて、時間に追い詰められながら、出せるクオリティになるまで描き直して、一枚100円ちょっとちまちま稼ぐなんて、そこで他の業種を選んだって何もおかしくない。むしろまともなくらいだ。圧倒的多数は自分の生活のための選択肢のひとつとしてアニメを選んでいるのであり、身を粉にして職人やりたい人間自体一握りなのだ。

また、そんな動画マンが原画に上がるまでの準備期間として2原作業をするわけだがこれもまた糞で、

2原とは、本来レイアウト+ラフにそれを清書する原画の作業でワンセットのところを、様々な理由で原画部分を他者に押し付け…もとい依頼することなのだが、

大半の場合、スケジュールに対して作業し切れない分を撒くため1000~2000円の単価に対し10枚前後は当たり前、時には何十枚という、しかも単価調整してもせいぜい2~3カットぶんという悪夢のような仕事が舞い降りてくる。

ベテランでも嫌がる仕事が新人に重く圧し掛かり、時間も精神も削られていく。

これでは勉強どころではないし、まじめにやっても期待される上がりにはならず、雑な描き飛ばしが周りで横行すれば自分のやっていることは何なのかと、ドロップアウトの原因になってしまう。

それは、果たして本人の弱さが悪いのか?

いや、絶対に違う。

《人に頼む値段ではない》のにその何倍もの負担を強いられる。

業界に入って数年の若者に、構造として成り立っていないところを努力で切り抜けろとは土台無理な話だ。

 

え?私の新人時代はそれが当たり前だったし、それでも頑張って生活出来るようになった。私でさえこういう努力をしたんだからそれが出来ないなら向いてなかったんじゃないかって?

知るか!そうやってさりげなく「私これだけ出来てたアピール」をしてマウントを取ろうとするんじゃない。誰もお前の話など聞いておらぬわ!あーはいはい、偉いえらい!!

余談だが、「当たり前だと思うけど、私はこれだけのことをしました。」というのはマウンティングの一種なのだが、女性に多い気がする。どれだけ仕事の出来る人でもごく普通の人間なんだと気付く瞬間のひとつだ。

 

きわめて少数の一部のスタジオでは、動画時代(本来、動画と原画はまったく内容の異なるセクションであり上下関係があるわけではないが、動画のスキルがなければ原画は描けないため実質ステップアップとして考えられることが多い。)から固定給+出来高で生活を保障しているスタジオも存在する。

そういった事実からアニメ業界全体が貧困として捉えられるのが面白くない人もいるのだろう。実家暮らしを恵まれていると考える向きもあるだろう。

しかし、考えてみてほしい。

その恵まれた環境は明日も当たり前に存在するのかと。

仮に環境がよくても人間関係や病気、事故などでそこから離れなければならなくなる可能性は必ず存在する。

若くしてキャリアを積もうと、ベテランだろうと、それまで積み重ねてきたものが一切通用しなくなる日が訪れるかもしれないのだ。

また、実家暮らしも裏を返せば「自立が困難」ということであり、自身の人生に選択肢を用意出来ないことは、すなわち、貧困ではないだろうか。

加齢などの要因で線が震えている原画を若手が知らずに苦言を呈す場面や、

2原専門で作業している若手が不満を漏らすと、何を偉そうにと釘を刺すベテランを見ていると尚更思う。

誰がどんな環境に置かれているか、想像の及ばないまま外へ踏み出した時に周りが焼け野原でも、それまで誰も辞めないような世界だったのが、みんな自分を取り残していくような世界になっても、全ては自己責任と言えるのだろうか。

まあ、恵まれたカテゴリに存在出来る人間は、別の条件のいい場所に身を移していくだろうとは思うので、そういった意味でも限られたスペースに収まれない人に対して共感しづらく、自分を差し置いて努力が足りないように見える層に手が差し伸べられるのが嫌なんだろうなとは思う。

また、単価を上げるならアニメーター自身もリスクを負うべきという意見は頓珍漢と言うほかない。

アニメーターの仕事はあくまで製品の中の映像素材を作ることであり、クオリティにかかわらずそれを売るのは製作会社の仕事である。

何度も言うように《人に頼む値段ではない》のに作画以外の仕事を求める時点でナンセンスだ。

 Twitter上にいる『偉い人』が必ずしも正しいわけではないことを、心の隅に置いていただきたい。

次回は単価について、話してみようと思う。